カテゴリ:飛行機( 5 )

エースパイロット ~世界の撃墜王~

久しぶりに戦闘機パイロットを紹介

正直に言うとネタがないんですorz

それでは今回は・・・

エーリヒ・ハルトマン

(Erich Alfred Hartmann, 1922年4月19日 - 1993年9月20日)

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ドイツのエースパイロット

この人は航空機撃墜の世界記録保持者です

その記録はなんと

撃墜数352

大量消費型の戦争や
ドッグファイト中心の航空機戦が
行われなくなった近代では、
ルーデルの戦車撃破数のように
この記録が破られることはないと思われます。

乗機メッサーシュミットBf109Gの
機首に黒いチューリップ風のマーキング
をしていたため、ソ連空軍から

「黒い悪魔」

と恐れられた。

さらにハルトマンは

僚機未撃墜

つまりハルトマンの隊からは撃墜者が出ていないということ

これはハルトマン含めても世界でたった二人しか成し遂げていない。

ちなみにハルトマンは

「自分は歴代最高の撃墜数よりも、一度も僚機を
失わなかったことの方を誇りに思っている」


と語っている

実は無理やり出撃した上官が撃墜されているので
完全に未撃墜ではない・・・がその上官も不時着後
帰還したので戦死者はゼロである。

航空指揮官としての能力も高く
自身も一撃離脱戦法を使っていたが
これを自分の部隊に取り入れ
隊全体で大きな戦果を上げている

ちなみ一撃離脱戦法は当時多用されていたが
ハルトマンはそれにさまざまな工夫と考察を加えている。

しかもハルトマンは

戦況が悪くなるにつれ撃墜数が飛躍的に急増した


とんでもない人ですね
ここまで紹介したパイロットはみんな
ドイツのパイロットです。
ドイツはすごい人が多いですね。
ちなみに撃墜数2位もドイツ
ほかにもすごいパイロットが
ドイツにはたくさんいたようです。

今後も紹介していく予定です。

別にドイツを特別扱いしているわけではありません

実際アメリカとかはトップエース
でも40機撃墜だったりと、ドイツほどの
人はいないようです。

こんなにパイロットに差があっても
国力による圧倒的物量にはかなわ
なかったということですね。




詳しくはこちらをどうぞ
wikipediaエーリヒ・ハルトマン


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by furaggu99 | 2009-09-02 00:29 | 飛行機

マンフレート・フォン・リヒトホーフェン              

飛行機パイロット2人目いってみよー
ってことで今日紹介するのは・・・

マンフレート・フォン・リヒトホーフェン        
(Manfred Albrecht Freiherr von Richthofen)

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マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(Manfred Albrecht Freiherr von Richthofen, 1892年5月2日 - 1918年4月21日)は、第一次世界大戦における「エースの中のエース」と賞賛されるドイツのエース・パイロット。「レッドバロン」の異名で呼ばれた。   

真っ赤に塗られた機体に搭乗していたことから

ドイツではDer rote Kampfflieger (赤い戦闘機乗り)
敵国のフランスでは (小さな赤)、Diable Rouge (赤い悪魔)
イギリスでは Red Knight (赤い騎士)あるいは Red Baron (赤い男爵)

と呼ばれた

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第一次世界大戦における空中戦で
前人未踏のスコアである
80機撃墜を達成した(当時では最高記録)

ドイツとは仲の悪いフランスでも英雄扱いである
ことからもリヒトホーフェンのすごさが分かる。


1916年11月23日、当時の
イギリス最高のエース、ラノー・ホーカー少佐
と交戦、45分に及ぶ激闘の末に勝利してリヒトホーフェンは有名になった

マンフレートは部下に空中戦理論を教えることで隊全体の
スコアを上げている。そのためマンフレートの隊は多くの
エースを輩出し、連合軍から「フライング・サーカス」
「リヒトホーフェン・サーカス」と恐れられた。

プロイセン軍人最高の
プール・ル・メリット勲章
を受章している。


1918年4月21日、ソンム川付近での空中戦にて戦死。
26歳だった。最終階級は大尉。
死因はイギリス第209戦闘機中隊アーサー・ブラウン大尉
の機体からの銃撃という説と、地上のオーストラリア兵の
対空砲火という説がある。いずれにせよ、敵味方から最高
のエースと賞賛された彼の戦死は、ドイツのみならず
連合国側にも波紋を広げ、彼の死を悼む声が次々に挙がった。
各国の新聞にも記事が掲載されている。

リヒトホーフェンの遺体はフランスに埋葬されるが、
イギリス軍は彼を最高の栄誉で手厚く葬ったという。
その後、イギリス空軍はドイツ軍陣地上空から
「リヒトホーフェン大尉に捧ぐ」と記された哀悼の花輪を投下した。
戦後、遺体はドイツに送還され、ベルリンに改葬された。

(参考、引用、wikipwdiaより)


・・・・とまぁ敵にも味方にも英雄扱いされたすごい人で
実際にかなりの戦績を上げています。
紳士的でプライドが高く、敵の撃墜したパイロットも
手厚くもてなしたらしいです。

今でももっとも有名なパイロットとして名が挙がるそうです。

蛇足ですが赤い彗星の元ネタという噂もあります。

第一次世界大戦の飛行機乗りとしては
おそらく最高の英雄でしょう。
とにかくかなりすごい人なのは間違いありません。




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始めたばかりですがなかなかいい感じです
このままよろしくお願いします!
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by furaggu99 | 2009-06-04 21:48 | 飛行機

ルーデル まとめ

ルーデルの記事があまりにも長すぎてたぶん
だれも読む気がしないと思うので短くまとめます。

それではいきます!

ハンス・ウルリッヒ・ルーデル

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第二次世界大戦で活躍し
戦車519台を撃破した世界記録を持つ

戦車撃破王

航空機撃墜数は9機でエースパイロットでもある
(エースパイロットの条件は5機以上撃墜と定められていた)

本当は戦闘機乗りを目指していたが
間違ったうわさを信じて急降下爆撃隊に志願した。
しかし爆撃機のスツーカを操縦してすぐに気に入り
スツーカ隊にいること自体が至上の幸福
とまで言った

高射砲に撃墜されたことはあったが
敵の航空機に撃墜されたことは一度もない

さまざまな勲章を受章し

ほとんどルーデルのために作ったような勲章もあった

敵の攻撃で負傷したときもこっそり
病院を抜け出し戦闘に参加した。

そして

誰が撃破したか分からない戦車が続出

その結果抜け出したことがばれて軍医に怒られた。

負傷して右足を切断する大きなけがをしたが

足はまだ一本残っているからどうでも良い。ソ連の戦車をしばらく撃破出来ないのが悔しいと涙ながらに訴えた

何度か負傷し入院しているが
ことごとく抜け出して出撃を繰り返した。

一度の戦いで100台の戦車を相手に
25台を撃破した記録があるが、これはつまり

一人で敵戦車の4分の1を破壊したことになる。



これより戦果、戦績の記録紹介です

戦績

出撃回数2530回(内、Fw190での出撃も100回以上ある)

被撃墜回数30回

戦闘による負傷5回

ソ連軍によってかけられた賞金10万ルーブル
(当時のレートで換算すると、およそ5000万~1億円)

戦果

戦車519輌(この数は戦車部隊一個軍団を撃滅したのに相当する)

装甲車・トラック800台以上

火砲(100mm口径以上)150門以上

装甲列車4両

戦艦1隻(マラート)

嚮導駆逐艦1隻

駆逐艦1隻

上陸用舟艇70隻以上

航空機9機
(戦闘機2、爆撃機5、その他2。9機のうち2機はIl-2であったとする資料もある)


もちろん、艦艇の撃沈記録については、彼一人の戦果ではなく協同戦果である。

第二次世界大戦史や軍事関係に造詣の深い者にとってすら
常識的な水準から外れて高い戦績である為、時間を経た現代では
もはや伝説めいて語られる事もあるが、これらの戦績はあくまで公式記録に基づくものである。

しかも、戦友らの証言によれば、ルーデルは仲間たちの
評価を上げる為に、自らの戦果を他人の戦果として申告
させていたという。この証言に従えば、実際の戦果は公式記録
より多い事になる。また彼は、負傷した際も病院からこっそり
抜け出しては出撃し戦列に紛れていた為、更に戦果は多かった
ものと思われる。 また、公式的な記録ではルーデルの飛行は
45年2月9日をもって終了している。これは右足を切断するという
パイロット生命に関わる事態が起こったことで、退院後、部隊に
戻ってからは航空団司令として地上勤務に就いていると
思われていたためである。

つまりルーデルの戦果は

公式記録よりも多い


(参考 wikipedia アンサイクロペディア)

短くしたつもりなのにかなり長くなってしまいました。
別名アンサイクロペディアに噓を言わせなかった男
噓じゃないのにおもしろすぎますw
たしかにもはや伝説ですね。
英雄に死なれては困るのでヒトラーに地上勤務を命じられたとか・・・
しかもそれもことわってまた出撃したらしいですw
本当にとんでもない人です。
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by furaggu99 | 2009-05-24 19:44 | 飛行機

ルーデルその2

ルーデルのあまりの偉大さに文字数制限を
超えてしまったので2回に分けました。

これはその2回目です。

下の記事の続きなので
その1を先にお読みください

※長すぎて読む気がしないかも知れませんが
 面白いので是非読んでください


-----------------------では続き-----------------------

ある日のルーデル(負傷篇)
飛行中に敵の対空砲で撃たれ片足が吹っ飛んでしまったので、新たな後部機銃手にして相棒のガーデルマンに「足が無くなってしまった」と言ったら「そんなことはないでしょう。足が吹っ飛んだら、話なんかしていられるもんですか」と返された。なのでそのまま基地まで飛んで帰った。
さしものルーデルもさすがに病院送りになったが、見舞い客が訪れた際、珍しく咽び泣く。さすがに片足になったら辛いのだろうと慰めの言葉をかけると「もう二度と高飛びもできないし砲丸投げもできないが足はまだ一本残っているからどうでも良い。ソ連の戦車をしばらく撃破出来ないのが悔しい」という事だった。しばらくとか言ってる時点で復帰する気満々であり、実際に義足をつけて復帰した。
その後義足で復帰したルーデルは休暇中も書類を偽造して出撃し、病院送りになっても病室を抜け出してまで出撃し、やっぱり相変わらずソ連戦車部隊に急降下爆撃を仕掛け続けたという。その後、この無断出撃が発覚してルーデルは軍医に怒られるのだが、その発覚した理由というのが本人曰く誰が破壊したのかわからない戦車が多過ぎた為であった。 「もしかすると皆で一斉に急降下爆撃したせいかもしれません」とか言って誤魔化そうとしたら、更に怒られたらしい。
そして例によって例の如く対空砲によって撃墜され、後席に座っていたガーデルマン共々重傷を負ったルーデル。ところが彼は義足で歩いて陣地へと復帰。先に救出され治療を受けていたガーデルマンを見つけるや否や「休んでいる暇はないぞガーデルマン、出撃だ!!」と言って彼を引っ張って戦場に向かった。もちろんルーデルもガーデルマンも怪我をしていたが気にしてはいけない。

ある日のルーデル(新型戦車篇)
ブダペストにて新型のソ連軍戦車らしき物を発見したが「イワンめ、また新型を作りおったか」と即座に破壊した。ちなみにルーデルによればこの日はイワンにとって最悪の日であったそうだが、果たしてルーデルの出撃した日でそうでない日があったのか非常に疑わしい。 で、この時破壊した新型戦車の残骸を確認しようと舞い戻ったら高射砲の攻撃を受け被弾。ルーデル自身も負傷し、なんかこう始めは左足が刺すように痛かったのだが、だんだんと恍惚感に変わってきたそうである。ルーデルが「ブダペストまで持つかな?」と言ったのに対して、ガーデルマンは「大丈夫ですよ」とさらりと返した。この時点でガーデルマンもだいぶ染まってきたようだ。
さらに医者に「退院まで6週間かかる」と言われたそうであるが、入院8日目にソ連軍が迫りつつある事を知ると「よし行こう! すぐ退院だ!」と病院を飛び出してしまった。このとき医者は力無く首を振っていたそうな。


ある日のルーデル(勲章篇)
そうして積み重ねたルーデルの戦果が余りにも凄すぎた為アドルフ・ヒットラーも次々に勲章を贈与していたのだが、とうとう彼に見合う勲章が尽きてしまった。そこで遂にルーデルの為だけに最高位勲章を新設することになり、黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章なるとんでもない勲章を受け取った。これを受賞したのは全独逸兵士中、ルーデルのみである。 なおこの勲章は、ルーデルに続く新たなる英雄が現れることを願い、円卓の騎士に準えて合計12個作られたのだが、結局他に受賞した者はいない。いる筈も無い。いたらナチスドイツが勝っていた。
そんなルーデルが戦死する事を恐れたのか、ヒトラーは再三にわたって「君を前にして面と向かっては言いにくいが、もうこれ以上は飛ぶな」と言っていたのだが、その悉くを拒否。前述の勲章を授与された際「もう二度と私に地上勤務をしろと言わないのならば、その勲章を受け取りましょう」と言い放ったという。 そして総統閣下はこう言った。「まあいいわ、飛びたまえ!」 ……もうやだこの国。
ちなみに地上勤務要請というのはエースパイロットの戦死を防ぐと共に、教官にする事で技術を後続の兵士に教えるのが目的である。が、ルーデルの技術なんか習得できる奴がいるわけがない。だって特に秘訣は無いのだから。
総統閣下がエーリッヒ・ハルトマンに勲章を授けるときに「君達やルーデルのような者が、もっと大勢居ればなぁ」等とぼやいていたが、撃墜数300機超えとかニュータイプなアフリカの星とか、ソ連人民最大の敵とか、そういう化け物が何人もいる時点で満足すべきだろう。まあ、敵は物量チートなわけですが。


ある日のルーデル(投降篇)
「帰る途中も潰走するルーマニア軍を見た。もし弾が残っていたら、この臆病者どもの頭上にお見舞いしていたかもしれない」などと友軍に対して辛辣な事を言いつつ奮闘していたルーデルであったが、一人の活躍では戦局は覆せない。ベルリンの広場がソ連兵で埋まっていたので着陸することもできず、ついにドイツが無条件降伏した事を知ったルーデルは、連合軍に降服することを決意する。この頃にはSG2指揮官になっていたので、書類上だけは自分では出撃していないことになっていたし。
その途中、ソ連機に遭遇。 「昨日と今日で、そう急に変わってたまるものか」と言って撃墜した。
連合軍に捕虜として投降したルーデル。「ドイツ式の敬礼をやめてくれないか? あと、英語が話せたら英語で頼む」と士官に言われる。対するルーデル。表情一つ変えずに口を開いた。
「私は習った通りに敬礼をしているだけだ、改める気はない。そしてここはドイツだ。頼まれたってドイツ語以外は喋りたくないね。そもそもドイツ空軍は空の戦いで破れてなどいない。ただ圧倒的な物量によって押し潰されただけだ。ここに来た理由はソ連占領地域を避けただけだ」
そして唖然とする米軍士官に「……ま、そんな事はどうでもよろしい。シャワーと食事を頼む」と要求。あんた命が惜しくないのか。

幸い連合軍は心が広かったらしく、軍服や勲章を取り上げられる事も無く、一度は盗まれた義足も無事戻り、更に戦争犯罪にも問われなかった。ルーデルは普通に軍務に従事していただけであり戦争犯罪は行っていないのである。


その後のルーデル(尋問篇)
投降したルーデルは連合軍からさまざまな尋問を受けるのだが、最もしつこく質問されたのは彼の乗機にはどんなカスタムが施されていたかについてだった。ルーデルは高射砲に落とされたことはあっても戦闘機に撃墜されたことは皆無だから、回避性能を増すためにさぞかし凄まじい改造をしたに違いないと想像する連合軍将校に、ルーデルは短くこう答えた。
「戦車の装甲をぶち抜けるよう、37mm対戦車機関砲を外付けしてもらった」
なんと、当時の平均的な戦闘機の半分程度しかないスツーカの速力とか機動力とかはそのまんま、いやむしろバランスが悪くなるため、通常のスツーカよりもさらに性能が低下していたのだ。そんなんで戦闘機に狙われて生き延びれるわけが無いと指摘する連合軍将校に、ルーデルはこともなげにこう言ったという。
「そんなに不思議なのかね? 私にはこれという秘訣は無かったのだが……」



その後のルーデル(収容所篇)
他にもドイツの行っていた強制収容所について聞かれたルーデル。無論、ルーデルはパイロットである為にそんな事実は知らず、また関与もしていなかったのだが……。
「全然知らない。だが、戦争の常だ、多少のことはやむを得まい。いつの時代、どこの国でも悲惨なことは起こり得る。ボーア戦争の残虐さを君たちも知っていよう。それにしても、この写真は捕虜収容所のもののみとは限らない。ドレスデン、ハンブルクその他の都市で四発爆撃機が襲来したあとには、もっと大きな死がいの山が築かれた。罪もない女や子供が無数に虐殺されたのだ。君たち紳士が、もしこのような写真に関心を払うなら、東の方に行ってみるがいい。写真ではない実物が、現に東方の蛮族の手によって行われているのだ」
連合軍であるソ連兵を蛮族呼ばわりしたりしたが、連合軍は心が広かったようだ。良かった良かった。


その後のルーデル(戦後編)

終戦後は南米に脱出。独裁者と友人になったりしながら実業家として過ごし、28歳年下(結婚当時21歳)の嫁さんを貰った。
しかしこれは2回目の結婚であり、実は、まだルーデルがドイツで猛威を振るっていた時にはもう既に、結婚していて1943年には子供がいたのだ! つまり、再婚相手は、初婚の子供よりも後に生まれた女性だった。
なお最初の妻と子供は、ヒトラーが直々に安全を確保していたとかなんとか。
そしてフェアチャイルド社に頼まれてA-10神の開発に尽力。このA-10が「速度は遅くとも良いから何発撃たれても落ちず戦車を一発で吹っ飛ばせる」代物になったのは、ルーデルの発案によるとも言われ、お陰で米軍歩兵からは大絶賛される傑作機となり、ルーデルの技術が近代戦でも応用できる事を証明した。
アルゼンチン空軍の設立にも協力。その教え子たちはルーデルの技術をある程度受け継いだようであり、フォークランド紛争の際には、海軍の支援無く航空戦力だけでイギリスのフリゲート艦、揚陸艦、輸送艦、臨時空母などを撃沈しまくった。当時のアルゼンチンにはエグゾセミサイル5発しかなかったのに。
ルーデルは『急降下爆撃』を始めとする自伝を執筆。「ローマ教会が脱出に手を貸してくれて助かった」だの「ナチスの戦争は正しかった」だのと空気を読まない発言を繰り返し、色々な人の肝を冷やさせた。のみならずドイツ軍に招かれて公演を行った際、上記のことを堂々と力説。結果としてルーデルを招いた二人の軍人が責任を取るため退役に追い込まれた。
未だ各地で戦犯として拘束されている戦友を救出し、或いは逃走を続けている彼らへの支援を行うべく『ルデル・クラブ』を結成。まっとうなドイツ軍人支援組織だったものの、欧米で執筆された多くの冒険小説では「ナチス残党が結成した謎の秘密結社」扱いであり、更にルーデルはその恐るべき首領扱いだったが、誰も気にしない。
また義足でありながら登山にも精を出す。アンデス山脈の最高峰の一つ、ユヤイヤコ(6,900m)にも挑むが、その際に友人であるノイベルトが滑落し、死亡。一旦下山して死体を捜索、発見したルーデルは、唖然とするガイドたちをよそに友人の亡骸を担いで再度山を登り始めた。で、数時間後に帰還しての第一声が「これからノイベルトはずっと、この山の頂で眠るんだ」……友人思いではあったらしい。
1982年に死去。その葬儀の際、西ドイツ空軍機2機が(筋金入りのナチスシンパで知られる彼のために)追悼飛行を行い、ナチス式の敬礼をする元軍人やら、元ナチス党員やら、ネオナチやらが参列し、戦時中の国歌やら軍歌やらが盛大に流され、またまた大問題に発展する。
「あれは単なる訓練飛行である。下で誰かが葬式をしていた? 知らんよ」


ルーデルのスコアは大嘘です

エースパイロットの「公式戦果」なるものは、多くの場合正確でないことが多い。本人や仲間が撃墜数を過大に報告したり、司令部が戦意高揚のためエースの活躍を誇張して宣伝したりするからである。たとえば史上最大の撃墜王であるハルトマンも、じつは疑わしいスコアがかなり多かったりする。

ルーデルの「戦果」もまた、正確性に欠けている。なぜなら彼は前述のように病院を脱走して前線にまぎれ込み、誰が壊したのかわからない戦車を大量生産したり、同僚や部下が休暇をもらえるようマイレージの如く自分のスコアを譲ってあげたり、逆に自身が戦場に留まり続けるために自分のスコアを過小に報告するなど、何度も粉飾を繰り返していたからだ。

というわけで、上のルーデルの公式戦果は大嘘です。デタラメです。状況や人々の証言からより精度の高い数を挙げれば…

戦車:800輌以上
装甲車・トラック:1000台以上
火砲(100mm口径以上)180門以上
装甲列車:6両以上

・・・あれ? 増えた?

ちなみにルーデルがソ連の戦闘機を撃墜した日に、同じ地区を飛んでいたソ連のエースが撃墜されていたりするのは内緒だ。

内緒だよ?


---------------------------------------------------------------------------------------

文字数制限越えるなんておもいませんでした。

さいごに繰り返しですが

長すぎて読む気がしないかも知れませんが

面白いので是非読んでください


この人すごすぎるって
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by furaggu99 | 2009-05-15 23:29 | 飛行機

ルーデルその1

新しいカテゴリーを作りました。

飛行機・・・といっても詳しくはないので
たいしたことは書きません。

とりあえずパイロット紹介でもします。

第一回は

ハンス・ウルリッヒ・ルーデル

この人めちゃくちゃすごいけど

とっても笑える人です

まさかのwikipediaよりアンサイクロペディアの方が詳しい

それでは

アンサイクロペディアに噓を言わせなかった男
ルーデルについての紹介。以下アンサイクロペディアより


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称号:ソ連人民最大の敵・スツーカの悪魔・アンサイクロペディアに嘘を言わせなかった男

「自らを価値無しと思っている者こそが,真に価値無き人間なのだ」
  ~ハンス・ウルリッヒ・ルーデル



ハンス・ウルリッヒ・ルーデル(Hans-Ulrich Rudel、 1916年7月2日 - 1982年12月18日)は、第二次世界大戦の際に活躍したドイツ軍人。ソ連人民最大の敵。スツーカの悪魔、爆撃の魔王。そしてパイロットである。朝起きて出撃して朝飯食って牛乳飲んで出撃して昼飯食って牛乳飲んで出撃して夜飯食って牛乳飲んで出撃してシャワー浴びて寝るという毎日を送ってたら、いつのまにか

戦車519台を撃破し
世界最強の戦車撃破王


になっていた。

なお航空機撃墜数も9機なので、れっきとしたエースである。

間違いなく彼のスコアは世界記録であり今後絶対に更新されることは無いだろう。


「ルーデルの目を見ると、私は何も言えなくなるのだ」
~ ハンス・ウルリッヒ・ルーデル について、アドルフ・ヒトラー

「少なくともあなたと一緒の出撃は見合わせて休ませねばいかんでしょう」
~ ハンス・ウルリッヒ・ルーデル について、エルンスト・ガーデルマン

「ルーデル怖い、ルーデル怖い、ルーデル怖い……」
~ ハンス・ウルリッヒ・ルーデル について、ヨシフ・スターリン

「ハンスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の赤軍を除かねばならぬと決意した。ハンスには怪我が分からぬ。ハンスは、不死身の死神である。 サイレンを鳴らし、戦車を破壊して暮らしてきた。けれども休んでなどいられない、すぐに出撃だ!」
~ ハンス・ウルリッヒ・ルーデル について、太宰治

「彼もできると言ったことを実行しただけ」
~ ハンス・ウルリッヒ・ルーデル について、シモ・ヘイヘ


総合戦績
出撃回数2530回
被撃墜回数30回(尚、全て対空砲によるものである)
戦闘による負傷5回
ソ連軍によってかけられた賞金10万ルーブル(1940年当時のソ連の労働者の平均年収は600ルーブルほど。600ルーブル=300万円と換算すれば5億円!)
戦果
戦車519輌
装甲車・トラック800台以上
火砲(100mm口径以上)150門以上
装甲列車4両
戦艦1隻撃沈(ガングート級戦艦マラート)
巡洋艦1隻
駆逐艦1隻
上陸用舟艇70隻以上
航空機9機(戦闘機2、爆撃機5、その他2。9機のうち2機はIl-2であったとする資料もある



以上の文章も嘘や出鱈目である可能性が高いです。以下の文章だって嘘や出鱈目である可能性が高いんです。
…と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのだが……以上の逸話は全て事実である。なんてこった!


かつてのルーデル(少年篇)
ルーデルがパイロットを目指したのは八歳の頃だという。近くの街でお祭りがあったのだが、なんとルーデルの両親は彼に留守番を押し付けると、二人だけで遊びに行ってしまったのだ!
当然、お祭りを楽しみにしていたルーデル少年は憤慨。そこで母親がお祭りの出し物の話をしていると、ルーデル少年が物凄い食いついて来る話があった。それがパラシュートで降下する男のショウだったと言う。
あまりにもパラシュートについてしつこく聞いてくるので、母親はルーデル少年に落下傘の玩具を作ってくれたそうな。ルーデル少年は、それに小石を結びつけて毎日のように遊んでいたが、その程度では我慢できなくなり、ついには自ら蝙蝠傘を持って二階からダイブしてしまう。無論怪我は無かったが、こっぴどく怒られたのは言うまでも無い。
そしてルーデル少年はこれを境に「飛行機の操縦士になろう!」と決意したのだが……飛行機というよりも急降下に魅せられている気がしないでもないのは、気のせいだろうか?


かつてのルーデル(青年篇)
そんなこんなで月日が流れて二十歳になったルーデル青年。当然ながら飛行機学校に通いたかったのだが、実家にそんな余裕は無い。おとなしく諦めようとしていたところ……。
なんと戦争に備えていたドイツは空軍を設立し、予備役将校の募集を開始したのだ! 六百人の志願者の中から六人だけが選ばれる高難易度の試験にダメモトで挑戦したルーデルは見事合格し、ビルトパーク・ウェルター軍学校に入学。晴れてパイロットとしての道を歩き出す事となった。
そして卒業間近になったルーデルは、あるひとつの噂を耳にした。空軍の花形といえば当然ながら戦闘機乗りだが、なんでも今年の卒業生は全員スツーカ隊行きだと言うのだ。それなら仕方ないと潔くルーデルはスツーカ隊を志願。ところがいざ配属先が発表されるとなんとルーデル以外は全員が戦闘機隊に配属されていた! 「噂を信じて馬鹿正直に志願してしまったものだ……」と後に語っているが、同時に配属されてスツーカを実際に操縦してみた途端にスツーカ隊にいること自体が至上の幸福として感じられるようになったとも語っている。どう見ても天職です。本当にありがとうございました。


かつてのルーデル(魔王誕生篇)
最新型の爆撃機スツーカの扱いにも慣れたころ牛乳ばっかり飲んでる役立たずという理由で偵察部隊への転属を命じられてしまったルーデル。ポーランドとの戦争で偵察部隊として初陣をかざり、見事二級鉄十字章を獲得するも、ルーデルはスツーカ隊への帰還を希望していた。
1940年、フランスと開戦すると共にルーデルはスツーカ隊へと帰還したのだが、上司との折り合いが悪かったせいか、ルーデルは居残りを食らってしまっていた。「出撃命令でエンジンが唸り出すたびに、拳を耳につめこみたくなる。スツーカ隊は、クレタで歴史を作っている。そう思って、私は口惜しさに男泣きに泣いた」と語る通り、出撃できないのが何よりも辛いのは、この頃に原因があるらしい。
しかし運命の刻は1941年6月22日午前四時に訪れた! ラジオで独ソ戦の開始を聞いたルーデルは、いてもたってもいられずに宿舎を飛び出し、故障機格納庫へ向かうと、修理の完了した機体を受領。その足で司令部から許可をもらうと、一目散に出撃したのだ!
その後「敵戦線を突破して飛んだ」「大量のソ連戦車がいた」などと言いつつルーデルは淡々と爆撃し続け、一ヶ月後には1級鉄十字勲章を獲得。遂に空の魔王が誕生した瞬間であった。



ある日のルーデル(マラート撃沈篇)

部隊最年少のシャルノブスキー伍長を後部座席に乗せて出撃したルーデル。ソ連の戦艦マラートへと果敢に急降下爆撃を敢行し着弾させるも、当時は戦艦に通用する2000ポンド爆弾が前線に到着していなかった為、損害は軽微。この日はマラートに逃げられてしまう。
ちなみにつづいての作戦では駆逐艦一隻を瞬時に撃沈した。
だが5日後、遂に到着した2000ポンド爆弾を備えて出撃したルーデルは戦艦マラートに対して再び急降下爆撃! 至近距離で投弾した為に結果のわからなかったルーデルは、シャルノブスキーの「戦艦が炎上しております!」の叫びで、マラートの爆発炎上撃沈を知ったのだった。
無事に帰還したスツーカ隊に下った新たな命令は、この戦果に気を良くした司令部からの「巡洋艦キーロフを破壊すべく再出撃せよ!」という無茶振りも良いところ。無論ルーデルは躊躇せずに出撃しようとしたのだが、師匠である部隊長ステーン大尉の機体が着陸時に壊れてしまった事を知り、スツーカを貸す事に。シャルノブスキーも後方機銃手として同乗し、ルーデルは居残りとなった。
しかし……帰還してきた部隊の中に、ステーン大尉の機体は無かった。キーロフからの対空砲火で操縦不能に陥った大尉は、敵艦へと特攻したのだという。ルーデルは恩師と友人の両方を一度に失ってしまったのだ


ある日のルーデル(入院篇)
ルーデルと2番目の相棒ヘンシェル。シャルノブスキーを失いつつ、新たな相棒ヘンシェルとめぐり合ったルーデル。まさに黄金コンビとも言える二人は着々と戦果をあげ騎士十字賞さえも授与されたのだが、かわりに休暇を取るように命令されてしまった。「休んでなんかいられない! すぐに出撃するぞ!」などと言いつつも、この時のルーデルは素直に従った。彼は久々に故郷へと帰った後、再び戦線へと戻ったのだが……。
なんとルーデル帰還すると同時期に黄胆にかかってしまったのだ! 当然ながら医者に帰国しての入院を勧められるが、ルーデルはこれを無視。「休んでなどいられない! すぐに出撃だ!」と言って飛び出すルーデルに対して「何があっても責任は取らないよ」と医者は言ったが何もおきなかったので問題は無い。

ある日のルーデル(部下救助篇)
部下の乗ったスツーカが被弾して不時着したため、彼らを救うべくルーデルもスツーカを戦場に着陸させる。
不時着した部下二人とは首尾よく合流できたものの、いざ飛び立とうという段になってスツーカが突然のエンスト。4人は敵地に取り残されてしまった。一番近い味方の陣地までは約40キロ。
機銃手のヘンシェルが「ソ連軍に捕まるくらいなら川に飛び込もうよ!」と言うので幅600ヤード、水温4℃の河を泳いで渡る。ルーデルと部下二人はどうにか泳ぎきったものの、ヘンシェルは「もうダメです」と言って沈んでしまう。あわててルーデルが再び河に飛び込んだが、助けることはできなかった。 ヘンシェール!!
味方のルーマニア兵だと思って話しかけたソ連兵からSMGの銃撃を受ける。肩に一発食らうが他の弾は全てかわす。そのまま走って離脱。だが救出した部下二人ともここではぐれてしまう。
おそらく部下は捕まってしまったらしく、ルーデルが逃げている事が知れ渡ってしまう。かくして軍用犬まで出して数百人体制での捜索が始まったが、ルーデルはこれを回避。 「それにしても勘のにぶい軍用犬だ」
夜になり民家を発見したルーデル。窓から侵入しようとしたら、住人に見つかって怒られてしまう。謝ってドアから入りなおしたルーデルは、住人の老夫婦と意気投合。老夫婦と同じベッドで川の字に就寝し、次の日に礼を述べて立ち去った。
その後、約40キロを二日で踏破して味方陣地にたどり着く。全身負傷、服はぼろぼろ、泥まみれ血まみれのルーデルは、最初味方兵士にすらドイツ軍士官だと信じてもらえなかったという。無論、すぐさま帰還し入院せよとの命令が下った。
無論速攻で無視した。理由は「帰国する気持ちになれない」。
翌々日、中隊はルーマニアのヤッシーへ移動。その際ルーデルのためにと、ワザワザ後方から軍医が派遣されてきた。無論これも無視して他の隊員とともに前線へ。彼曰く、「肩の傷など問題とせず、私は敵攻撃に向かうつもりだ」(※原文ママ)
しかもヤッシーに着いて早々(つまり帰還してから二、三日後)、怪我して体中ボロボロな状態でバルチにいた強力な敵装甲部隊を爆撃してこれを文字通り殲滅し、 一日目で17台、二日目で9台の合計26台の戦車を破壊している。
当時の戦況や部隊編成などから考えて、遭遇した機甲部隊の総兵力が100台以下なのは間違いない。即ちルーデル一人で少なくとも四分の一を撃破した計算になる。
その際の言葉、「最後の出撃のときは、目を皿のようにしなければならなかった」(※原文マm) 、「どこにも戦車の姿は見えない」(※原文m) 、翌朝の明け方の偵察では、「すべてが静かに、まるで死んだように見える」(※g)
なおこの事件が元で、ルーデルには「味方飛行場以外での着陸を禁ずる」という前代未聞の命令が下された。
そのため、後日不時着した友軍パイロットを発見した際には、降下→そのまま地表を滑走→救助、乗載→再離陸、という流れで、一応「着陸はすることなく」救助を達成している。ルーデル本人はうまくトンチで出し抜いてやったと自賛していたことであろうが、ただしこれは普通のパイロットにとっては、敵地着陸などとは比較にならないほど危険な変態機動であったことは言うまでもない。



-----多すぎて文字数制限越えたので次に続く-----
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by furaggu99 | 2009-05-15 23:16 | 飛行機