マンフレート・フォン・リヒトホーフェン              

飛行機パイロット2人目いってみよー
ってことで今日紹介するのは・・・

マンフレート・フォン・リヒトホーフェン        
(Manfred Albrecht Freiherr von Richthofen)

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マンフレート・フォン・リヒトホーフェン(Manfred Albrecht Freiherr von Richthofen, 1892年5月2日 - 1918年4月21日)は、第一次世界大戦における「エースの中のエース」と賞賛されるドイツのエース・パイロット。「レッドバロン」の異名で呼ばれた。   

真っ赤に塗られた機体に搭乗していたことから

ドイツではDer rote Kampfflieger (赤い戦闘機乗り)
敵国のフランスでは (小さな赤)、Diable Rouge (赤い悪魔)
イギリスでは Red Knight (赤い騎士)あるいは Red Baron (赤い男爵)

と呼ばれた

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第一次世界大戦における空中戦で
前人未踏のスコアである
80機撃墜を達成した(当時では最高記録)

ドイツとは仲の悪いフランスでも英雄扱いである
ことからもリヒトホーフェンのすごさが分かる。


1916年11月23日、当時の
イギリス最高のエース、ラノー・ホーカー少佐
と交戦、45分に及ぶ激闘の末に勝利してリヒトホーフェンは有名になった

マンフレートは部下に空中戦理論を教えることで隊全体の
スコアを上げている。そのためマンフレートの隊は多くの
エースを輩出し、連合軍から「フライング・サーカス」
「リヒトホーフェン・サーカス」と恐れられた。

プロイセン軍人最高の
プール・ル・メリット勲章
を受章している。


1918年4月21日、ソンム川付近での空中戦にて戦死。
26歳だった。最終階級は大尉。
死因はイギリス第209戦闘機中隊アーサー・ブラウン大尉
の機体からの銃撃という説と、地上のオーストラリア兵の
対空砲火という説がある。いずれにせよ、敵味方から最高
のエースと賞賛された彼の戦死は、ドイツのみならず
連合国側にも波紋を広げ、彼の死を悼む声が次々に挙がった。
各国の新聞にも記事が掲載されている。

リヒトホーフェンの遺体はフランスに埋葬されるが、
イギリス軍は彼を最高の栄誉で手厚く葬ったという。
その後、イギリス空軍はドイツ軍陣地上空から
「リヒトホーフェン大尉に捧ぐ」と記された哀悼の花輪を投下した。
戦後、遺体はドイツに送還され、ベルリンに改葬された。

(参考、引用、wikipwdiaより)


・・・・とまぁ敵にも味方にも英雄扱いされたすごい人で
実際にかなりの戦績を上げています。
紳士的でプライドが高く、敵の撃墜したパイロットも
手厚くもてなしたらしいです。

今でももっとも有名なパイロットとして名が挙がるそうです。

蛇足ですが赤い彗星の元ネタという噂もあります。

第一次世界大戦の飛行機乗りとしては
おそらく最高の英雄でしょう。
とにかくかなりすごい人なのは間違いありません。




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by furaggu99 | 2009-06-04 21:48 | 飛行機