ルーデルその2

ルーデルのあまりの偉大さに文字数制限を
超えてしまったので2回に分けました。

これはその2回目です。

下の記事の続きなので
その1を先にお読みください

※長すぎて読む気がしないかも知れませんが
 面白いので是非読んでください


-----------------------では続き-----------------------

ある日のルーデル(負傷篇)
飛行中に敵の対空砲で撃たれ片足が吹っ飛んでしまったので、新たな後部機銃手にして相棒のガーデルマンに「足が無くなってしまった」と言ったら「そんなことはないでしょう。足が吹っ飛んだら、話なんかしていられるもんですか」と返された。なのでそのまま基地まで飛んで帰った。
さしものルーデルもさすがに病院送りになったが、見舞い客が訪れた際、珍しく咽び泣く。さすがに片足になったら辛いのだろうと慰めの言葉をかけると「もう二度と高飛びもできないし砲丸投げもできないが足はまだ一本残っているからどうでも良い。ソ連の戦車をしばらく撃破出来ないのが悔しい」という事だった。しばらくとか言ってる時点で復帰する気満々であり、実際に義足をつけて復帰した。
その後義足で復帰したルーデルは休暇中も書類を偽造して出撃し、病院送りになっても病室を抜け出してまで出撃し、やっぱり相変わらずソ連戦車部隊に急降下爆撃を仕掛け続けたという。その後、この無断出撃が発覚してルーデルは軍医に怒られるのだが、その発覚した理由というのが本人曰く誰が破壊したのかわからない戦車が多過ぎた為であった。 「もしかすると皆で一斉に急降下爆撃したせいかもしれません」とか言って誤魔化そうとしたら、更に怒られたらしい。
そして例によって例の如く対空砲によって撃墜され、後席に座っていたガーデルマン共々重傷を負ったルーデル。ところが彼は義足で歩いて陣地へと復帰。先に救出され治療を受けていたガーデルマンを見つけるや否や「休んでいる暇はないぞガーデルマン、出撃だ!!」と言って彼を引っ張って戦場に向かった。もちろんルーデルもガーデルマンも怪我をしていたが気にしてはいけない。

ある日のルーデル(新型戦車篇)
ブダペストにて新型のソ連軍戦車らしき物を発見したが「イワンめ、また新型を作りおったか」と即座に破壊した。ちなみにルーデルによればこの日はイワンにとって最悪の日であったそうだが、果たしてルーデルの出撃した日でそうでない日があったのか非常に疑わしい。 で、この時破壊した新型戦車の残骸を確認しようと舞い戻ったら高射砲の攻撃を受け被弾。ルーデル自身も負傷し、なんかこう始めは左足が刺すように痛かったのだが、だんだんと恍惚感に変わってきたそうである。ルーデルが「ブダペストまで持つかな?」と言ったのに対して、ガーデルマンは「大丈夫ですよ」とさらりと返した。この時点でガーデルマンもだいぶ染まってきたようだ。
さらに医者に「退院まで6週間かかる」と言われたそうであるが、入院8日目にソ連軍が迫りつつある事を知ると「よし行こう! すぐ退院だ!」と病院を飛び出してしまった。このとき医者は力無く首を振っていたそうな。


ある日のルーデル(勲章篇)
そうして積み重ねたルーデルの戦果が余りにも凄すぎた為アドルフ・ヒットラーも次々に勲章を贈与していたのだが、とうとう彼に見合う勲章が尽きてしまった。そこで遂にルーデルの為だけに最高位勲章を新設することになり、黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章なるとんでもない勲章を受け取った。これを受賞したのは全独逸兵士中、ルーデルのみである。 なおこの勲章は、ルーデルに続く新たなる英雄が現れることを願い、円卓の騎士に準えて合計12個作られたのだが、結局他に受賞した者はいない。いる筈も無い。いたらナチスドイツが勝っていた。
そんなルーデルが戦死する事を恐れたのか、ヒトラーは再三にわたって「君を前にして面と向かっては言いにくいが、もうこれ以上は飛ぶな」と言っていたのだが、その悉くを拒否。前述の勲章を授与された際「もう二度と私に地上勤務をしろと言わないのならば、その勲章を受け取りましょう」と言い放ったという。 そして総統閣下はこう言った。「まあいいわ、飛びたまえ!」 ……もうやだこの国。
ちなみに地上勤務要請というのはエースパイロットの戦死を防ぐと共に、教官にする事で技術を後続の兵士に教えるのが目的である。が、ルーデルの技術なんか習得できる奴がいるわけがない。だって特に秘訣は無いのだから。
総統閣下がエーリッヒ・ハルトマンに勲章を授けるときに「君達やルーデルのような者が、もっと大勢居ればなぁ」等とぼやいていたが、撃墜数300機超えとかニュータイプなアフリカの星とか、ソ連人民最大の敵とか、そういう化け物が何人もいる時点で満足すべきだろう。まあ、敵は物量チートなわけですが。


ある日のルーデル(投降篇)
「帰る途中も潰走するルーマニア軍を見た。もし弾が残っていたら、この臆病者どもの頭上にお見舞いしていたかもしれない」などと友軍に対して辛辣な事を言いつつ奮闘していたルーデルであったが、一人の活躍では戦局は覆せない。ベルリンの広場がソ連兵で埋まっていたので着陸することもできず、ついにドイツが無条件降伏した事を知ったルーデルは、連合軍に降服することを決意する。この頃にはSG2指揮官になっていたので、書類上だけは自分では出撃していないことになっていたし。
その途中、ソ連機に遭遇。 「昨日と今日で、そう急に変わってたまるものか」と言って撃墜した。
連合軍に捕虜として投降したルーデル。「ドイツ式の敬礼をやめてくれないか? あと、英語が話せたら英語で頼む」と士官に言われる。対するルーデル。表情一つ変えずに口を開いた。
「私は習った通りに敬礼をしているだけだ、改める気はない。そしてここはドイツだ。頼まれたってドイツ語以外は喋りたくないね。そもそもドイツ空軍は空の戦いで破れてなどいない。ただ圧倒的な物量によって押し潰されただけだ。ここに来た理由はソ連占領地域を避けただけだ」
そして唖然とする米軍士官に「……ま、そんな事はどうでもよろしい。シャワーと食事を頼む」と要求。あんた命が惜しくないのか。

幸い連合軍は心が広かったらしく、軍服や勲章を取り上げられる事も無く、一度は盗まれた義足も無事戻り、更に戦争犯罪にも問われなかった。ルーデルは普通に軍務に従事していただけであり戦争犯罪は行っていないのである。


その後のルーデル(尋問篇)
投降したルーデルは連合軍からさまざまな尋問を受けるのだが、最もしつこく質問されたのは彼の乗機にはどんなカスタムが施されていたかについてだった。ルーデルは高射砲に落とされたことはあっても戦闘機に撃墜されたことは皆無だから、回避性能を増すためにさぞかし凄まじい改造をしたに違いないと想像する連合軍将校に、ルーデルは短くこう答えた。
「戦車の装甲をぶち抜けるよう、37mm対戦車機関砲を外付けしてもらった」
なんと、当時の平均的な戦闘機の半分程度しかないスツーカの速力とか機動力とかはそのまんま、いやむしろバランスが悪くなるため、通常のスツーカよりもさらに性能が低下していたのだ。そんなんで戦闘機に狙われて生き延びれるわけが無いと指摘する連合軍将校に、ルーデルはこともなげにこう言ったという。
「そんなに不思議なのかね? 私にはこれという秘訣は無かったのだが……」



その後のルーデル(収容所篇)
他にもドイツの行っていた強制収容所について聞かれたルーデル。無論、ルーデルはパイロットである為にそんな事実は知らず、また関与もしていなかったのだが……。
「全然知らない。だが、戦争の常だ、多少のことはやむを得まい。いつの時代、どこの国でも悲惨なことは起こり得る。ボーア戦争の残虐さを君たちも知っていよう。それにしても、この写真は捕虜収容所のもののみとは限らない。ドレスデン、ハンブルクその他の都市で四発爆撃機が襲来したあとには、もっと大きな死がいの山が築かれた。罪もない女や子供が無数に虐殺されたのだ。君たち紳士が、もしこのような写真に関心を払うなら、東の方に行ってみるがいい。写真ではない実物が、現に東方の蛮族の手によって行われているのだ」
連合軍であるソ連兵を蛮族呼ばわりしたりしたが、連合軍は心が広かったようだ。良かった良かった。


その後のルーデル(戦後編)

終戦後は南米に脱出。独裁者と友人になったりしながら実業家として過ごし、28歳年下(結婚当時21歳)の嫁さんを貰った。
しかしこれは2回目の結婚であり、実は、まだルーデルがドイツで猛威を振るっていた時にはもう既に、結婚していて1943年には子供がいたのだ! つまり、再婚相手は、初婚の子供よりも後に生まれた女性だった。
なお最初の妻と子供は、ヒトラーが直々に安全を確保していたとかなんとか。
そしてフェアチャイルド社に頼まれてA-10神の開発に尽力。このA-10が「速度は遅くとも良いから何発撃たれても落ちず戦車を一発で吹っ飛ばせる」代物になったのは、ルーデルの発案によるとも言われ、お陰で米軍歩兵からは大絶賛される傑作機となり、ルーデルの技術が近代戦でも応用できる事を証明した。
アルゼンチン空軍の設立にも協力。その教え子たちはルーデルの技術をある程度受け継いだようであり、フォークランド紛争の際には、海軍の支援無く航空戦力だけでイギリスのフリゲート艦、揚陸艦、輸送艦、臨時空母などを撃沈しまくった。当時のアルゼンチンにはエグゾセミサイル5発しかなかったのに。
ルーデルは『急降下爆撃』を始めとする自伝を執筆。「ローマ教会が脱出に手を貸してくれて助かった」だの「ナチスの戦争は正しかった」だのと空気を読まない発言を繰り返し、色々な人の肝を冷やさせた。のみならずドイツ軍に招かれて公演を行った際、上記のことを堂々と力説。結果としてルーデルを招いた二人の軍人が責任を取るため退役に追い込まれた。
未だ各地で戦犯として拘束されている戦友を救出し、或いは逃走を続けている彼らへの支援を行うべく『ルデル・クラブ』を結成。まっとうなドイツ軍人支援組織だったものの、欧米で執筆された多くの冒険小説では「ナチス残党が結成した謎の秘密結社」扱いであり、更にルーデルはその恐るべき首領扱いだったが、誰も気にしない。
また義足でありながら登山にも精を出す。アンデス山脈の最高峰の一つ、ユヤイヤコ(6,900m)にも挑むが、その際に友人であるノイベルトが滑落し、死亡。一旦下山して死体を捜索、発見したルーデルは、唖然とするガイドたちをよそに友人の亡骸を担いで再度山を登り始めた。で、数時間後に帰還しての第一声が「これからノイベルトはずっと、この山の頂で眠るんだ」……友人思いではあったらしい。
1982年に死去。その葬儀の際、西ドイツ空軍機2機が(筋金入りのナチスシンパで知られる彼のために)追悼飛行を行い、ナチス式の敬礼をする元軍人やら、元ナチス党員やら、ネオナチやらが参列し、戦時中の国歌やら軍歌やらが盛大に流され、またまた大問題に発展する。
「あれは単なる訓練飛行である。下で誰かが葬式をしていた? 知らんよ」


ルーデルのスコアは大嘘です

エースパイロットの「公式戦果」なるものは、多くの場合正確でないことが多い。本人や仲間が撃墜数を過大に報告したり、司令部が戦意高揚のためエースの活躍を誇張して宣伝したりするからである。たとえば史上最大の撃墜王であるハルトマンも、じつは疑わしいスコアがかなり多かったりする。

ルーデルの「戦果」もまた、正確性に欠けている。なぜなら彼は前述のように病院を脱走して前線にまぎれ込み、誰が壊したのかわからない戦車を大量生産したり、同僚や部下が休暇をもらえるようマイレージの如く自分のスコアを譲ってあげたり、逆に自身が戦場に留まり続けるために自分のスコアを過小に報告するなど、何度も粉飾を繰り返していたからだ。

というわけで、上のルーデルの公式戦果は大嘘です。デタラメです。状況や人々の証言からより精度の高い数を挙げれば…

戦車:800輌以上
装甲車・トラック:1000台以上
火砲(100mm口径以上)180門以上
装甲列車:6両以上

・・・あれ? 増えた?

ちなみにルーデルがソ連の戦闘機を撃墜した日に、同じ地区を飛んでいたソ連のエースが撃墜されていたりするのは内緒だ。

内緒だよ?


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文字数制限越えるなんておもいませんでした。

さいごに繰り返しですが

長すぎて読む気がしないかも知れませんが

面白いので是非読んでください


この人すごすぎるって
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by furaggu99 | 2009-05-15 23:29 | 飛行機